9/13大泣き [卵巣腫瘍・入院生活]

相変わらずすすり泣き続ける私。

「どうしたの?」

しばらく泣いたままだったので友達は
私が病理解剖の結果が悪くてショックを
受けているのかと思ったようです。

「何かショックなことがあった?」

「ううん、大丈夫。まだ病理解剖の結果はきいてないし」


無理に聞き出そうとしなくてゆっくり待ってくれました。

彼から距離をおいた方がよいといわれてから
ほとんど連絡をとっていませんでした。
彼の大きな仕事のときだけ応援の気持ちで
メールはしてましたが。


「ずっと音沙汰なかったんだけどね・・・」


9月に入ってメールがきたこと。
私が9月に手術ということしか知らなかったので
無事だったかどうか、一応心配だったらしいです。

次の日に入院、翌々日に手術ということをメールしたら
祈っているからね、という内容の返信。

そして手術の翌日に来たメール。

会いたい・・・と返信したら無視されたこと。


この友達は彼との経緯から全部知ってます。
私の気持ちに沿ってきいて、話してくれました。

今さら〇〇ちゃんの気持ちをかき乱すなんて許せない、
もう十分に苦しんだからいいんじゃない。
私が代わりに言ってあげたいよ、と。
こっちから「さよなら」って。


この3ヶ月、私が病気以上に苦しかったのは
彼とのことだったのも知っていたから。

友達は詳しく言わなくても理解してくれたようです。


お部屋が重病な方ばかりなのも
精神的にこたえたのかもしれません。

みなさん抗がん剤の副作用で苦しんでいる方たちばかり。
一緒に重くなってしまった気がしたこと。

そして余計に自分の人生を考えてしまったのです。

私以外は結婚して、子供がいる、あるいは
孫までいる方たち。支えてくれる家族がいる。
苦しくても支えてくれる人がいる幸せ・・・。


自分は結婚もしていないし、子供もいない。
親や身内、親戚はいるけど新しい家族は
作れそうもない。

これから先、恋愛をするのにも手術の傷が原因で
躊躇してしまいそう。

彼がいれば何もいらない、というくらいの存在だった
男性を失った私には未来も何もないように感じて
しまったから。

自分の生きる理由も同時に失ってしまったような
そんな思いから抜けきれず、最悪の状態でも
この世に未練はないかもしれない、とすら
考えていました。
私が最期に合いたかったのは彼なのに
もう会うことすらできないなんて。

家族に言ったら何を馬鹿なことを言っているのと
いわれることだけれど・・・。



自分はこれから生きる価値があるのだろうか?

何に希望を見出して生きていけばいいのだろう。

ずっとそんな思いでした。


手術は成功して、卵巣一つと子宮も残せ、
経過も順調な私なのに。

生かされた喜びより
これからの人生に彼なしで生きていかなければ
いけない辛さ、悲しみと苦しさの方が
この時点ではまだまだ強かったんです。


6年間の愛情がなくなったら
心がブラックホールみたいになってしまって・・・。

知らなければそのまま生きていけたかもしれないけれど
一度知ってしまったら、生きていけないくらい苦しい。

そういう愛情を与えてくれただけでも
感謝なのかもしれないけど・・・。


まだ、複雑な思いの中にいる私には
普通の判断はできないのでした。

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